*〜*大正風俗事情*〜*
其の二

これを読めば「探偵青猫」の世界がちょびっと判るかも知れない?

大黒屋があなたに送る、過ぎ去りし日の思い出(笑)


遊郭と牛太郎

 遊郭 宿場より発展した品川遊郭では、

 島原のような優美さや格式は見られなか

 ったが、大正初期には四十軒ほどの立派

 な風呂屋か旅館を思わせる建物が並び、

 お女郎さんを平均十二、三人抱えて繁盛

 していたようです。(写真は島原)

 玄関の脇の格子の中に「張見世」(はり

 みせ)といって、お女郎さんたちが妖艶

 な姿態を見せており、掛かっている木札

 で遊びたい相手を選んで指名しました。

 これも一種のセレモニーってとこだったのでしょうか?のっけから、ワクワクさせてって感じですね(笑)。
                                   
  登楼しての遊び代金を「花代」(はなだ
  い)遊び相手を「相方」(あいかた)と
  言いました。

  相方が決まると前金で花代を払う。
  花代は金二円でありましたが、その他
 「本部屋」は五円で(本部屋は泊りで飲食 
  もできた)「チョンの間」は一円五銭
 (ちょんの間はショートタイム)もあった
  そうです。

 売れっ子のお女郎は指名の客も多く、客を
 取っていたして(?)いる間も他の客を待
 たせる事もあったそーな(笑)。

 また「回しを取る」と言って二人を相手に

掛け持ちする事もあったらしいですっ。お女郎の多忙の時、なかなか昇天しないと「早くしてよ!」と怒鳴ら

れてよけいに焦り、なかなか天国(爆笑)へ行けない・・・。

こんな時は「運が悪い」と諦めて帰った方が良いと学校の先生が教えたそうですよ(ホンマかいな?(笑))。

牛太郎は妓婦太郎(ぎふたろう)から変化した名前で、その遊郭に雇われている客引きの男の事でありまする。

(最近ではポン引きってゆーのかな?)街が紅灯活気づく頃、遊郭では店の前に牛太郎が立ち通行人の遊び人を

見分け(遊び人を見分けるってポイントはどこだったのでしょうかね〜??)袖を引き「いい娘がいるよ!初

ものだよ!」なんて云って客を誘い込んでいたのだそうです。(ホントかねぇ〜)


玄関には
「やりて婆」という客に娼妓を紹介したり取引を決めたりする年増が手ぐすね引いて待ち構えていた
そうです(笑)。

遊郭は別名「岡場所」とも云いました。

写真下は横浜高島町の「神風楼」です。よっく見ると、門前に幌をかけた人力車が止まっています・・・。
どんなドラマがあったのでしょうか?遠い昔のラブ・アフェアですかね?

尚、こちらに掲載しました写真は大黒屋が蔵から引っぱり出して来たモノですっ。
 

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