ルドルフ・ヌレエフ

Rudolf Nureyev


1938年ソ連邦生まれ。
レニングラードのワガノワ記念バレエ学校を卒業後、キーロフ・バレエ団に進みソリストとなりました。

61年に西側に亡命し話題となる。
62年から70年代半ばまで、英国ロイヤル・バレエ団 のゲスト・ダンサーとして活躍。この時のマーゴ・フォンティーンとのパートナーシップは素晴らしいものでありました。
フォンティーンはヌレエフの存在ゆえにそのキャリアを長らえることが出来たとも言われています。

その跳躍力や美しい脚さばき、彼独特のセックス・アピールのある容貌から一種カリスマ(Charisma=神から授けられた非日常的な資質・能力・・と言う本来の意味よっ(笑))的魅力を発し、 後の男性舞踊手のスター時代への先駆けとなった人物と云えましょう。

77年にはケン・ラッセル監督の映画「バレンチノ」にも主演し、その魅力をバレエファンに止めることなくスクリーンに惜しみなく披露しました。(この時ニジンスキー役でヌレエフとタンゴを踊ったのは、アンソニー・ドウエル(現ロイヤルバレエ芸術監督)でした。)またマカロワ、バリシニコフなどソ連の人気ダンサーの亡命への端緒をも開いたエポック・メーキングなスターであったとも云えます。

世界中のバレエ団に招かれ、チャイコフスキーの主要作品などのクラシックをレパートリーとした他、 フレディック・アシュトン、ローラン・プティ、モーリス・ベジャール等の創作を演じています。
82年にオーストラリア国籍を取得し、83年から90年までパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督を務めました。
93年パリで惜しむらくもエイズにて死亡しました。

上の画像は15年前の来日公演のチケットです。大黒屋行っててよかった(笑)。

 

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