本仁作品が孕む 華たち

presented by Kaho sama

 

 あなたも、ワタシも、全ての人間が 非日常性を必要としている。
それは、恋であったり、映画、小説、漫画等の娯楽であったり、
酒であったり、ギャンブルであったりする。
それがなければ 人は正常に生き続けられない。
その 非日常性とはある種 狂気を意味する。
つまり、狂気に絡め取られないためには、
また ほんの少しの狂気が必要となる。
逆説的ではあるが これは真実である。

 ワタシは狂気を糧にしている人が好きだ。
それは、作品に種として蒔かれ 艶やかな美しい個々の華を咲かせる。

 作家にとって 華は必須である。
ムンクが 精神を病んでいた時期の作品と、
惜しくも 健全な精神を取り戻した時点からの作品を
比べるまでもないことである。
そしてその狂気こそが、
川端も云うところの 「末期の眼」 なのであろう。

 ワタシは本仁 戻、彼女の作品に含まれる 華を崇拝する。
それは彼女の作品全般にわたって いえることであり、
シリアス、ギャグ、コメディー全てである。
彼女の作品は 大輪の華を開き、ワタシの中で 生きる糧になる。
華々は 人を幸福にさせ、そして同時に作家の血の味をも 感じさせる。
 
 彼女の作品は偶然という顔で ワタシの前に現れた、
必然的奇跡である。
このことは、去年ワタシが 存在しないかもしれない雲の上の誰かに
感謝したいことの ひとつであった。
 
 さいごに 本仁先生、どうか お体に気をつけて、
今年も、ワタシを 喜ばせてやってください。
本仁作品に 華が棲むかぎり、
わたしは あなたのファンという名の 崇拝者であり続けます。


おしまひ。

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